戦後76年の平和日本は、なぜひとりの「大隈重信」を生み出せなかったのか。【福田和也】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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戦後76年の平和日本は、なぜひとりの「大隈重信」を生み出せなかったのか。【福田和也】

福田和也「乱世を生きる眼」


4月1日、東京都新宿区の早稲田大学では、2年ぶりに入学式が行われ、卒業生である作家の村上春樹氏が祝辞を述べた。そのなかで村上氏は小説の役割を語った。「意識では、論理だけではすくいきれないもの、そういうものをしっかりゆっくりすくい取っていくのが、小説の、文学の役目です。心と意識の間にある隙間を埋めていくのが小説です。」と。心と意識の間にあるこの隙間を埋めるのが文学なら、国家の命運を担う政治や経済の真の役割とはなんであろうか。またその任に耐えうる人物を戦後日本は輩出できたのだろうか。文藝評論家の福田和也氏の初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』(KKベストセラーズ)のなかに、「なぜかくも日本人は小粒になったのか」をテーマにした珠玉のエッセイが収められている。今回、その問いの核心に触れた文章を公開する。


 

大隈重信(1838-1922)、政治家、教育者、第8・17代内閣総理大臣。写真は1920年当時。

 

 

「なぜかくも日本人は小粒なってしまったのか」

 

■甘えというよりは人間の質の劣化にほかならない

 

 「治に居て乱を忘れず」という易経の訓おしえもまた永遠の真理です。

「乱を忘れず」というのは備えを怠らないという意味を超えて、精神のあり方、気構えの持ち方を語っているといってよいでしょう。

 平和な時代においても「覚悟」を持ち続けているということ。

 けれども、こうした気構えを今日の日本人はまったくなくしてしまった。

 身を賭して外敵と戦うというような事態を荒唐無稽な夢物語としてしか捉らえられなくなってしまった。

 その点でも、やはり、日本人は小さくなったのではないでしょうか。

 そうした事態に思いを及ぼす事、その時自分はいかに振る舞うのか、怯えるのではないか、逃げるのではないか、卑怯なふるまいをしてしまうのではないか。

 失敗をして味方を不利に陥れてしまうのではないか。

 そうした恐怖、想像力を働かせないですむ日本人は、たしかに幸せなのでしょうが、幸せな分だけ小さいこともまた否めません。

 もちろん、小さくたって、稚なくたって、平和で幸せならばいいじゃないか、という意見もあるでしょう。

 でも、それは本当の「幸せ」なのか。どうなのか。

「ささやかな幸せ」というけれど、それはそれで苛烈なものです。小さい所帯だって、きちんと支えていくのは容易なことではない。

 その容易ではないことをなり立たせていく厳しさも、実は私たちは忘れてしまったのではないか。

 自分がしなくても、誰かが、政府が、国が、社会がやってくれると思っているのではないか。

 それは甘えというよりは人間の質の劣化にほかならないでしょう。

 平和な時代であっても、人は必ずしも劣化するわけではありません

 江戸時代も平和な時代でした。

 徳川時代も将軍三代目までは、多少の争乱もあったけれど、二百数十年間、戦らしい戦もなしに泰平を謳歌しました。

 その点で、徳川家康と、そのスタッフたちの制度計画は、端倪すべからざるものだ、と云ってよいでしょう。

 家康は、織田信長、豊臣秀吉で頂点に達した、戦国時代の大量動員を前提とした戦争システムを徹底的に破壊して、国内平和の礎を築きました。

 徳川政権の凄みは、平和を定着させた事だけではありません。

 むしろ、かくも長き平和にもかかわらず、国民の資質が低下しなかったことに、徳川時代の面白さ、凄さがあります。

 特に、平時には無用であるはずの武士階級が、旺盛果敢な闘志を維持し続けたのみならず、学問をすら身につけたことは、日本の歴史的蓄積として大きな意味がありました。

 徳川幕府は、直接統治を行わず、全国各地を諸侯の統治に委ねましたが、その一方で、武家諸法度などによる厳しい管理体制を築きあげ、その施政に過失、遺漏があれば、容赦なく罰し、時には国替え、取りつぶしといった過激な罰則を加えていました。

 そのため諸大名もまた、武士官僚の質の向上に力を入れないわけにはいかなくなり、文武双方を藩士たちに叩き込んだのです。

 となれば、当然、出来不出来がでてくるわけで、そこで血統を基準とする封建身分体制とはやや異質な、実力主義の論理が出てくるわけです。

 

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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集! ! 
◆第一部「なぜ本を読むのか」
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◎中瀬ゆかり氏(新潮社出版部部長)
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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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